こんにちは、コメじゅです。
前々回に書いたものの追加です。
不意打ちのように、罵声を浴びると心臓のあたり(こころ)が鉄のハンマーで叩かれたような衝撃がはしります。物理的に叩かれてる訳では無いのに確かに痛い。
しかしそれよりも、メイちゃん(2020年に旅立って逝った愛猫)を亡くした時のは特大の衝撃でした。あえて比べてみると今回のことはまだマシなのかなと考えてみたりします。
メイちゃんを失った時は息が出来ないくらいの痛みでしたから。
その痛みと悲しみから逃げられないなら、とことん味わってみようと心臓(こころ)の痛みに集中しました。そうすると、私の感情は確かにここに在ると感じる。感じている痛みは頭ではなく「こころ」です。頭が痛いのではなく心が痛い。
いくら頭で納得しようとしても出来ない、手放せないモヤモヤ。
つらい、くるしい、かなしい、さびしい、こわい…胸がいたい。ずっとずっとその痛みに集中していると、その痛みを味わい尽くすとこの痛みの強さが愛だったのかも知らないなと思いました。こんなに強く愛を教えてくれてたメイちゃんありがとう、そして、旅立ったメイちゃんを掴んで離さないという私の執着を手放すことまでが私の課題なのだと。
メイちゃんが私に与えてくれたこと、あたたかく、やわらかな感触を思い出すと、同じ心臓の鼓動でもやさしく波打つのです。
ハンマーで叩かれているのではなく、オルゴールの盤をやさしく叩くリーンとした響き。
身体の外へ広がるように。
失った悲しみの痛みがたくさん「こころ」に溜まるたびに、試すことがあります。
悲しい感情を固めた重く硬い黒いカタマリが「こころ」に溜ってるので、心臓から身体の外へ分離させる。
ベリっと取れたカタマリを花火の六尺玉にして夜空へ打ち上げるというイメージ。重たく暗いこころの打ち上げ花火大会です。身体の外えー飛んでいけー!
すると、こころが少し軽くなっているのです。
悲しみをありがとうに変える。キレイな花火を投げて投げてどんどん打ち上げて手放す。
ありがとうのこころ、メイちゃんに届けー!
それと、同じようにお義母さんから受けた罵詈雑言で発生した重たいネガティブなカタマリをこころから引っ張り出して六尺玉に変え夜空へ投げ上げる!
とりゃ!
ぽふん!
うん、一発で終わりました。すっきりしました。ありがとうの量が少なめ?ですかね。
後日、夫に怒られたお義母さんは、「言い過ぎちゃった、ごめんね、これからもよろしくね」と私に電話してきました。謝って欲しい訳でもなかったので、特にこころは動きませんでした。私にできる範囲のことを淡々とやるだけです。
人生意味のないことなんて、起こりはしないと言います。
であるのなら、私のこの経験も意味のあるものなのでしょう。未来、何かの役に立つかもしれません。
でも、お義母さん、ありがとうのこころ、たった一発の花火ですいません。もうちょっと貯めておけたらいいのですが。
今回も、お読みいただきありがとうごさいました。